ちょうど1年前の今日は金曜日。
私はNHKのロケで、佐田岬に居た。
南予から松山へ戻る道すがら、ロケ車の中で第一報。
大変なことになった、とスタッフ一同、直感した。
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今日の会場でのパネル展示
・・・あれから1年。
今日は愛媛県内でも、日本国中、世界中で、
東日本大震災で尊い命を失われた、犠牲者に対して黙祷がささげられた。
私は、ビビットホールでその時を迎えた。
献花台に見立てた舞台の雛段に、
来場者にひとつずつカラフルな花を手向けてもらう。
舞台の上は花いっぱいになり、灯火も揺れている。
そんな中で行われた、交流会を兼ねた食事会、
満開になったメッセージボード
被災地支援の報告会、
そして、14:46 黙祷。
会場からすすり泣く声が聞こえる。私の頬にも涙が流れていた。
加藤いづみさんの復興祈念ライブは、
被災地から移住されてきたご家族にも、とても喜んでもらえたようだった。
中で歌われた「ふるさと」。
何とも歌詞が胸にすとんと染みてきて、袖で涙。と、加藤さんも泣きながら歌っていた。
♪~忘れがたきふるさと
フィナーレは、被災地から移り住んできた子どもたちと、
会場みんなで、加藤いづみさんと一緒に「見上げてごらん夜の星を」を歌った。
主催の愛媛県社会福祉協議会は、
全社協の割り当てで、震災直後から宮城県女川町を支援している。
その女川に住んでいる方から、今日の会場で
「命のうどん」というタイトルのメッセージが紹介された。
東日本大震災がなければ愛媛県の人達とこんなに交わることはありませんでした。
車で17時間もかけてやってきて、愛媛の温かい「うどん」を振舞ってくれました。
70年の人生で、並んでまでも人様から食べ物を貰って食べたことは一度もありません。
気が引けて情けなかった。
木陰でうどんをすすった。
だし汁の旨さと温もりは、体中にしみわたり 温もりが心の底に溜まった。
張りつめていた心のかたまりが溶けて、す~っと気持ちが楽になり
顔を上げると初夏の日差しが眩しく明るく輝いているのに気づきました。
今も、34万人以上の人たちが、自分の住み慣れた故郷を離れて、
全都道府県に散らばって生活をしている現実がある。
「絆」という言葉が多用される一方、
その「絆」が弱まったと感じる被災地の方も少なくなく、
仮設住宅では、孤独や暴力など悲しいニュースが連日報じられている。
自分にできることはなにか。
つきなみだが、今日は節目ではなく、それをこれからも問い続ける決意の1日にしたい。
被災地を想うこと、
そしてその想いを行動におこすこと、
さらにその行動を、継続していくこと。
被災地から少し離れた愛媛の地で、
我がのことだけじゃなく、みんなで痛みを分かち合い、手を繋ぎ続ける・・・
それが、残されたものに課せられた、亡くなられた方への供養だと思う。
合掌
コメント
地震だけではなく津波、放射能と三重苦の一年でした。
こういうツラい震災などがあるといつも思い出します。
「宮崎奕保」という偉いお坊さんが言ってたありがたいお言葉。
「無常」という言葉
時には残酷に聞こえるかもしれない。
今まで築き上げたものが一瞬でなくなる。
しかしツラい状態は「常」ではない、
もう次のいい方向へと事は動き始めている。
不幸な出来事から少しずつでも笑顔を取り戻した人もいる。
これも「無常」
いいことも悪いことも「常」ではなく動いている、
世は「常」ではないというありがたい教え。
それが「無常」
被災地が変わっていく様をこの目で見届けたい。
悪いこともいつかは脱する!
これからは常によい方向へと動き続ける「無常」でありますように。
合掌。
とにかく、忘れちゃあかんね
合掌