人生初のマンモグラフィ検診を受けたのは昨年の今頃。
ピンクリボンの日を特集した番組を作るために、
録音機材を持って上半身裸でおっぱいをペッたん子に挟まれて取材した。
あれから早1年。
今年も10月1日はピンクリボンの日。
乳がんは女性の20人の一人が罹るとと言われている病気なのに、
しかも早期発見早期治療すればほとんどが治る病気なのに、
乳がん検診している率は20%に届かないという現実。
四国がんセンター乳腺科医長 大住先生をお招きして
今年も乳がんを考える番組がスタート。
乳がん経験者からのメッセージも多かった。
マンモグラフィ検診は、一般的に40代以降、2年に一度が推奨されているが、
自発的に受けに行くことも可能(私も個人で申し込んで数千円で検診した)。
月に一度の触診(自分でおっぱいをさわって、しこりがあるかどうか観る)も大事。
さらに、親族に乳がん患者が居る場合は、遺伝的な背景も考えられるので
(この場合は若くして乳がんに。。。なんていうこともあるそうだ)
もっと早めにより密な検診が必要になってくることを知った。
ちなみに、四国がんセンターでは西日本でも数少ない遺伝子診断の技術があるそうだ。
※これは保険がきかずに40万ほどの実費が必要
こういう類の方は、四国がんセンターの「家族性腫瘍相談室」に連絡すると
カウンセラーさんなどがいらっしゃって相談に応じてくださるという。
(問*四国がんセンター 089-999-1111(代))
全国組織の乳がん患者の会「あけぼの会」愛媛支部 陶山かずみ支部長にも
スタジオにお越しいただいた。
1年ぶりの再会。改めて相変わらずお元気で朗らか。
正直いってとても乳房を全摘出されているとは思えない。
陶山さんがおっしゃるには
「乳がんだと分かった瞬間、孤独になる。誰にも相談できないし、
だれからもアドバイスがもらえない。そういうときにも
声をかけられるのは、経験者より他にないんです」
あけぼの会はまさにそういう会なのだ。
かくゆう陶山さんもひとつ後悔していることがあるという。
それは、子どもさんの受験などの事を第一に考えるあまり、
また「乳がんです」と言われるのが怖いという想いもあり、
異変に気づいていたのに3カ月も放置していたこと。
もっと早く行っていれば全摘しなくて済んだかもしれない・・・。
だからこそ、全ての女性の方々に、「お母さん乳がんで死なないで」と
訴えたいという。
期せずして、今年の「あけぼの会」主催「東京マンモグラフィキャンペーン」のテーマが
「お母さん、乳がんで死なないで!」をテーマにした作文募集だった。
全国各地、8歳から85歳までの人達から117作品が集まり、
このほど入賞者が発表された。
その入選作品の中に、なんと陶山さんの娘さんの作品も入っていた!
陶山さんは受賞式で入選作品集を受け取るまで、娘さんの文章を知らなかったという。
(入選全作品は、東京マンモグラフィキャンペーン http://tokyommg.org/sakubun.php で閲覧可能)
この文章を、涙なくして読むことはできなかった。
近い将来、患者の立場から、また医療の立場から、親子でチカラを注ぐことになるのである。
お母さんが乳がんになったとき 愛媛県 17歳 陶山美紀子
私の母が乳がんになったのは、私が四歳で保育園へ通ってる頃のことです。
まだ私は小さく物心がつく前のことです。
この時、まさか自分の母ががんにおかされているなんて思いもよりませんでした。
母が乳がんだと知ったのは、小学校三年生の時です。
本棚にある本を見ると、乳がんの本が沢山ありました。
この時、母は乳がんだと分かりました。
この頃母が再発して涙を流したのを覚えています。
でも母は、私の知らない間に再発を経験し、
知らない所で涙を流してきたと思います。
その苦しみを分からなかった自分が今でも悔しいです。
最初、母の片方だけの乳房を見た時、胸が苦しくて見ていられなかったです。
でも、少し経ってから、あの傷は母ががんと闘った証だと、
私も頑張らないとと思うようになりました。
現在の母はとても元気です。通院で点滴へ行っています。
支部長もやっていて、人の話の聞き役になってアドバイスをしているのを
よく端で見ています。
乳がんの人はここまで元気になれるんだなと驚いている部分もあります。
高三になった私は、看護師を目指して五年一貫過程の高校へ通っています。
母と同じ病気で苦しんでいる人を一人でも救いたいと思ったのがきっかけです。
私が国家試験を受けるのは二年後。
看護師になって、ある程度経験をつんだら乳がん認定看護師になろうと思っています。
もっと乳がんの専門のことを学び、患者さんの役に立ちたいです。
乳がんは、残念ながら増加傾向にあります。
しかも、進行してから病院へ来るケースも少なくありません。
乳がんは、自己検診でも分かるので異変を感じたら病院へ行ってほしいです。
私自身は、二十歳を超えたら自己検診を行い、三十歳になったら検査を受けに行くこと。
女性であること、病気になる確率は0パーセントではないこと。
それを心に留めておきたいです。
そして、周りの皆に自己検診、検査を受けに行くことを勧めていきたいです。
最後にお母さん。いつも迷惑掛けてごめんね。でも、いつもありがとう。
絶対に看護師になるから応援して下さい。
体がしんどい時は無理をせずに私に頼って下さい。
これからも元気でそのままのお母さんでいて下さい。
これからもよろしくお願いします。
これを読んでいる女性のあなた、家族のためだと思って検診に行ってください。
お友達や姉妹を誘って、みんなで検診に行ってください。
これを読んでいる男性のあなた、あなたの大切な家族に
検診に行くよう背中を押してあげてください。
嫁さんやお母さん、娘さんが苦しいと貴方も苦しいです。
ピンクリボンがきっかけで、
乳がんで命を落とす人が一人でも減っていきますように。
私も来年、再びマンモグラフィ検診を受けます。家族のために。自分のために。
コメント
部位は違いますが、34歳にして、がんで亡くなった同業者の闘病記が、先日出版されました。同じ高校の出身(年齢は同じだったみたいだけれど学年は一つ下)でもあり、他人事とは思えませんでした。自分ならばあれほど冷静に、諦めず、最後まで自分の社会的役割について真摯でいられるだろうかと考えてしまいます。