明日4/18のSUPER J チャンネルえひめ は、ぬあんと!
水谷豊さん、生出演です!!!
・・・って話で盛り上がった今日のエンディング。
衣裳は、こんな感じだった。
EMMAJAMES(エマジェイムス)
黄色カットソー(¥3980)
茶色キャミソール(¥2980)
さて。
実は、今日の昼間は・・・告別式に参列していた。
こんなに人目をはばからず泣いたのは、久しぶりだったと思う。
穏やかなな晴天の今日、社会人になって初めての「先輩」のおひとりが
皆に見送られて、天国へ旅立っていった。
53歳という、信じられない若さだった。
私が22歳でまだ右も左も分からんかった頃から、
同じ会社で机を並べて、ディレクターとは何ぞや?を、身をもって教えていただいた。
凄く怖いイメージの先輩だった。
そして凄く凄く尊敬する先輩だった。
彼の書いた進行台本を見て、社会人1ヶ月目の私はそのクオリティに感動し
こっそり台本をコピーして、バイブルとして引出しにしまっていたことを
結局 告白出来んかったなぁ。。。
社会人になった私に(15年前の話やけど)
彼から直筆でこんな言葉をいただいた。
この紙はどうしても捨てられず、今でも大切にしまってある。
矢野へ
自分の分は自分でやる ヒトの分もできるだけやってみる
できない分は工夫する 工夫してダメでもあきらめない
・・・先輩。今でも心にしっかり刻んで歩いているつもりです。
会社が別々になっても
彼が広告マンで、私がタレントで・・・という仕事も多かった。
正直、クライアントよりも彼が居ることのほうが緊張した(笑)
私がナレーションをするCMの仕事の時にも
「あ、やの、一緒に乗っけていってくれる?」って昔と変わらずリクエストがあって
彼を助手席に乗せてからスタジオ入りしたこともめちゃくちゃ懐かしい。
仕事にとても真っすぐな先輩だった。
そして子煩悩な人だった。
私に初めて子どもが出来た時「人生変わるよ~!」ととても喜んでくれた。
まだまだご一緒させていただきたかった。
体調がいよいよ悪いことは知っていたが、結局最期の最期、ギリギリまで仕事をしていた。
その時に、ウチの事務所の社長に「あとは頼むな」と。
・・・自分が一番分かっていたんじゃないかと思う。
遺影は、スーツ姿で、信じられないほど穏やかに微笑んでいた。
何だか彼とは思えないほどだった。
棺にお別れもさせてもらった。
今にも目を開けて「お~、ちょっと今日の式、あそこはもうちょっとこうしてほしいな~」
とか言いだしそうで・・・涙が止まらない。
とにかく「ありがとうございました」を繰り返していた。
喪主であるお父様が
「今でも悪夢を見ているよう。代われるものなら代わってやりたい」
と搾りだすような声でおっしゃった。心中いかばかりかと胸が痛い。
あっちの世界でも、遅咲きの桜は咲いているだろうか。。。
三番町の八重桜は、今日、鈴なりに満開です。。。
花時の天に昇って逝きし人 矢野
合掌
コメント
そのようなことがあったのですか。。。
明日は誰が旅立つかわからないので
その日その日を一生懸命生きようと思います。
笑える時に笑おうし、怒れる時に怒ろう。
泣きたい時に泣けばいい、
悲しい時に悲しめばいい。
楽しい事、苦しい事、一生懸命生きた証。
皆、いつかそちらに行きますから。
しばらくの間、お待ちください。
それまではお空からあたたかく見守りください。
いい旅立ちでありますように。。。
合掌。
偶然です。私も今日大変お世話になった方をお見送りしました。彼は52歳でした。家族ぐるみでお付き合いがあったので、息子二人も連れて行きました。泣き過ぎて頭痛薬も効かないくらい頭が痛いです。
大切な人にはちゃんと生きてるうちに、あなたが大切だよ、思ってるよ、愛してるよと伝えようとあらためて思いました。
人とサヨナラするのは本当に辛いことです。でもその人を忘れずに自分の生を全うするのが、供養かなとも思います。
やのさんの大切な人と私の大切な人がもしかして空の上で会ってるかもしれませんね。
53歳とは、あまりにも若すぎますね~
やのちゃんの先輩も、まだまだ、やりたかった事!人に伝えたい事!、沢山あったでしょうに・・・
人の命ってホンマ、解らない・・・
とても人のイイ方の方が、早く逝ってしまっている様な気がするっ
ま~、それほどショックな事だから、そう思うのだろうけども・・・
僕は、後輩・部下に、そんの様に思われているだろうか?? 自分でも全然自信が無いっ!
これを読み、”明日は今日以上に自分に厳しくなろうっ!”と思わせてくいれた日記でした
有難うございました!
故人の安らかな眠りをお祈りいたします 合掌
合掌