月曜日の夜はラジオ「やのひろみの部屋」
今夜はまさかこの人を俳人としてゲストに迎えることになるとは
ホントに夢にも思っていなかった人。
何度も本名で呼びそうになり言葉を吞み込んだ(笑)
第6回芝不器雄俳句新人賞 愛媛県人初受賞!田中泥炭(ぴーと)さん!
blogを遡っていくと、2013年3月30日
結婚式の司会をさせていただいている人で
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ウユニ塩湖で写真を撮りたいと出かけた
その一枚が披露宴会場に飾られた
音楽が繋いだご縁のこの二人。
泥炭さんは、松山市役所でバリバリ勤務されていて
それこそ俳句甲子園が大海原に居た頃
全国各地を飛び回り奮闘してくれていた、まさにその人。
今や日本の俳句界の若手の旗を振っている
神野紗希さんを筆頭に
彼らがまだ無名の頃から俳句甲子園を支えながら
全国各地を行脚しつつ
その時から脈々と俳句の魅力を感じ取っていたんですね。
第6回芝不器雄俳句新人賞を、愛媛県人で初受賞という快挙!
100句を作品として提出しそれが判定されること。
40歳が上限であること。
「自分の全て」と語った100句で勝負に出たこと。
それらに真剣に向き合い、その言霊を感じ取ってくれる審査員が居たこと。
それも全てが奇跡のように繋がった受賞。
その受賞より前に、市役所を退職し主夫になったこと。
その後、こんな賞が思いがけず舞い込んできたこと。
最終選考まで残った授賞式、ビビっていくのを辞めようとしていた泥炭の
背中を押してくれたのも
作句を普段から応援し、一番の読者で居てくれたのも嫁さんだと
生放送で感謝の気持ちを口にしてくれること。
どれをとっても何とも温かく素敵。
そしてその嫁さんこそ
やのが40歳で蝸牛型メニエル病になってしんどかった時に
診察してくれた女医さん。恩人のお一人なのだ。
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あの時のことが直ぐに思い返されて
あの時に相談に乗ってもらったのが
まだ市役所に勤めていた田中さん。
いろんなご縁が網の目のように交錯して
人の人生が形成されている。
あの時・・・・だったら。今の自分はいないのだ。
俳句甲子園がきっかけで
こんなところにも芽吹きが花が咲いている。
この大会の意義と意味を改めて想う。
田中泥炭さん、第6回芝不器雄俳句新人賞受賞
心からおめでとうございます!!!
「十七音の中は自由」
1週間はさかのぼってラジオが聴けます、ぜひ。
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コメント
おはようございます
お兄ちゃん、15歳のお誕生日おめでとうございます
我が家の初孫も、コロナで会えないまま14日に10歳の誕生日でした❗❤️
会いたいなぁ・・・
昨日の『やの部屋』も、楽しませて頂きました☺️
泥炭様が部屋ゲスだなんて、チョー凡人の私にとっては、大大大先生のような御方でございます‼️‼️‼️
YOUTUBEで、やのひろみチャンネル拝聴しております。家藤正人君との掛け合いは、知的好奇心をくすぐり愉快で、お二人の人柄が、よく画面から伝わります。失礼ながら、やのひろみという偉大な存在を存じ上げませんでしたが、知れば知るほど感心いたしております。俳句一句一遊は、関東ではネットされていないことが残念です。やのひろみさんが、ますますご活躍され、関東のテレビ、ラヂオでも、お目にかかれますように、埼玉所沢からお祈りしております。