この業界に就職した13年前、ディレクター志望だった私。
当時、何故か素人女子大生だけを集めて夜のラジオをすることになり、
1人足らなかったので、当時22歳だったという理由だけでマイクの前に座る羽目に。
でもそれが無かったら、今こうやって喋っていることは絶対に無かった。
世の中分からんもんやな~
なもんで、今でも半分くらいは 裏方の仕事をやってます。。
中でも長くやってるんが、2001年から制作しているラジオ番組
「夏井いつきの一句一遊」。
番組が立ち上がる際の企画書類や、第一回から台本や資料など
全部ファイリングしているんで、改めてペラペラめくっていると
いや~こりゃいろいろありましたな~
まず2001年7月2日(月)10:05~10:10、この番組は産声をあげたわけやけど
(当時はまだ5分番組だったんです)ま~投句が来ん来ん(汗)
夏井組長の歯に衣着せぬ喋りが賛否両論だった当時。
※この当時のことは夏井いつき著「100年俳句計画」にも書かれています
でも信じて続けるもんですね、何カ月かしたころから、
ダムが決壊したみたいに、ぶお~~~~っと投句が増えてきて。
2002年8月5日(月)12:53~、高知放送でも放送がスタート。
番組が念願の10分に拡大したのは、
2003年8月1日(金)10:00~(RNB)12:50~(RKC) から。
松山や西条、東温、高知県でも句会ライブを実施して、句友の輪が広がるも
2009年3月27日(金)高知放送のみ放送打ち切り。
放送復活の願いは相当数の封書やメール・ハガキで届いた。
高知新聞の読者欄にそのことが取り上げられたりもした。
そして・・・一句一遊リスナーの署名活動が始まった。
「夏井いつきの一句一遊」の凄いとこは、現在たった一局放送にも関わらず
それを全て録音して文字に起こす「聴き書き隊(有志)」の方により
リスナーHP「朧庵」に全て放送が掲載されていることだ。
そして、夏井さんの顔も声も知らない圏外リスナーが続々と増え、
今や全国各地、北は北海道~南は九州、国外はカナダからも投句がある。
もちろん、それは夏井いつき組長のライフワークである
「100年俳句計画」に基づく俳句の種まきの賜物であることは確か!
そんな全国のリスナーから、高知放送復活を希望した署名が集まり
この度、その署名が南海放送ラジオ局長に手渡された。
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ここは、いつも一句一遊をやっている、まさにそのスタジオ。
局長が座っているところにいつも組長が座って放送してます。
その数、4382名分!!!
発案者の高知の まっことマンデー さんを筆頭に、朝倉桜丸さん、
あねごさん、きとうじんさん が署名提出にお越しになり、
想いをいろいろと語ってくださったのだ。
(余談ですが、きとうじん さんは完全にどっかのSPみたいでした(汗))
もちろん民放なんで、先立つものがないと・・・という現実もある。
ただ、全国の民放ラジオ100社以上ある中で、
たった10分番組のために
リスナーがこんな風に立ち上がる番組は、そうそう無いのではないだろうか。
「ラジオのチカラ」を信じる者の端くれとしては
こういう小さな応援の積み重ねを、本当に有難く、心強く、
奇跡のムーブメントを祈りたいと思うのだ。
署名を頂いた全ての人に、スタッフとして心より感謝申し上げます。
コメント
ふとしたきっかけがいまや多数の署名を集める一員に・・・。人生って分かんもんですね~。。。
「ある業界」で仕事をしたいと思いながら希望が実らなかったわたくしから見ておりまして、ひろみちゃんは「明るく」「すばらしく」「たくましく」「努力している」と思います。
成果が実るといいですね。。。