奇跡

結婚披露宴の仕事。
・・・初めて この仕事をさせてもらったのは、18歳のころ。
披露宴のコンパニオンとして、ロングスカートをはいて接客していた。
19歳の頃、先輩に勧められて、披露宴の音響照明のバイトをはじめ、
多いときは一日3本ほどの披露宴を掛け持ち、CDとカセットケースを片手に
会場を行ったり来たり。
司会の女性の方とも、とても仲良くさせていただいて、
次第に、持ち込みの司会や、4時間披露宴、余興が複雑・・・など
特殊(?)な披露宴を任せてもらうようになった。
何なら、松葉杖をついていたとき(両膝前十字靱帯断裂の手術をしてまして)も、
声をかけてもらって、ギブスをしたまま
母に縫ってもらった、ワイドパンツのスーツと松葉杖姿で仕事をしたことも。。。
そもそもこの仕事をしてなかったら、私はこの業界には入っていなかったことは確か。
披露宴のバイトしていたときに、企画制作会社の社長様に声をかけていただき、
就職活動0秒で、この業種に入ることとなる。
今は、司会として披露宴に行かせてもらうことが多いが、
何せ、バイト時代から考えると、15年ほど、結婚披露宴という空間で仕事をしている。
一生に一度、二人が全員から祝福されて結婚する、という
とてもとても素敵な時間を ご一緒出来ることを非常に光栄に思う。
この週末は、土曜も日曜も披露宴の司会をさせてもらっていた。
一組目は、高校の先生。仲間達に愛された二人らしい披露宴。
特に新婦さんは、なかなか子どもを授からなかったご両親にとって、待望の子宝だったそうで、
新婦さんが産まれたときのことを、お父さんが手紙に綴られていた。
それを、司会の私が朗読したわけだが、
その時のBGMが、シェイラ「いつも青空」。
しかも、このお父様の選曲で、新婦さんの名前は・・・青空さん 。


ウエルカムボードは、青空にハートマークの雲 (新婦の弟さん撮影)
親から子どもへの最初のプレゼント。 こうやって一生懸命名前を考え、
希望と愛情を持って、名前を授ける。
非常に感動的な披露宴だった。
もう一組は、新郎さんはリスナーさん、新婦さんは一度仕事をご一緒したことがある美女。
列席者は ほとんど親族。
あたかも、両家の親睦会のような雰囲気の披露宴だった。
新郎新婦のお二人が、会場の全テーブルを回って列席者全員を紹介。
途中で泣き出すおばちゃんや、幼少時代のことを熱く語るおじさん。
おふたりが、どれだけ回りの方々に愛されて育ったかがよく分かる披露宴。
新婦さんがお手紙を読み始めると、穏やかそうなお父さんが、人目もはばからず号泣していた。
・・・とてもとても大切に大切に育ててこられたんだろう。
新郎さんも結びの挨拶で号泣。
彼からは列席者への感謝の言葉が繰り返された。
新郎新婦が新たな門出を迎える、披露宴。
参加させていただくたび、二人が出会った奇跡に驚き、感動し、
またそんな喜びを一緒に味わわせてもらうことを光栄におもうのだ。

お幸せに!
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コメント

  1. 砥部の3人の母 より:

    やのさんの今の仕事の由来はラジオで良く聞きました しかし、音響の仕事からこれだけの人と巡り会える仕事に着かれたやのさんは物凄くカッコいいです。人って十人十色で色々な方がいらっしゃる、それをうまく交わして真剣に取り組んで初めて今の仕事に成り立つ努力私も見習いたいです。

  2. ドラえもん@宇和島ウインドオーケストラ より:

    ひょんなことからこの分野にどっぷり漬かる・・・、いろんなご縁というのは不思議なものです。
    過日、初めて「公開生放送」のスタジオに訪問し、会場に入るとひろみちゃんがこちらを見て「にっこり」と迎えてもらったのは、プロ意識からくる自然な対応とはいうものの、忘れられない思い出になると思います。
    今や誰でも全国ネットで「メジャー」にな(れ???)る時代、地元に根差し、地元の人々と、地元でつながりを広げる・・・、ひろみちゃんの人柄を通じた究極の「地域振興」やと思います。

  3. ルシー より:

    やのねえ!
    おまつりに、帰れんなりました。
    やのねえ。おひさです。
    リスナーさんでお嫁さんと一緒に仕事した・・って
    前私がラジコミSPに行った時に来てたリスナーさんですか?
    でわまた

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