松山市立椿小学校

 

松山市立椿小学校のキャリア教育授業。

5年生5クラスのみんな、めちゃくちゃ色々話してくれていっぱい質問してくれて

80分近い時間、一緒に過ごしてくれてありがとう!心から感謝!!

 

大きな学校やな〜ここも。

入り口にわざわざお迎えの表示までしていただき恐縮です。

5年生たちは、1学期はSDGsについて学び

2学期は地域のことについて学び

3学期は未来地図を作るんやって!

子どもたちはこうやって日々学びを深めているといつも感服します。

だって、SDGsってなぁに?って聞くと

ば〜〜〜〜〜〜〜〜〜って手が上がるんやから。

大人もどんどん子どもたちの学びから教えてもらわなあかんとつくづく。

 

んで。この椿小に行く直前。めちゃくちゃ嬉しいDMが。

先日野球伝来150年の現場で、身体障害者野球日本代表の副キャプテン

梶原淳幹選手から、なんと!直接現場での対応に対するお礼のメッセージが届いたのだ。

思わぬご褒美をいただいたみたいで心から嬉しい出来事。

こうして人のご縁は繋がっていく。

梶原選手は日本代表でありながら、現役の中学教師。

幼い頃事故で右腕の自由を失うも、小学生からずっと野球一筋。

ハンディと思ったことはない、と梶原さん。

椿小5年生の中にも、日曜日に観戦に来てくれていた男児児童がいたことから

椿小の子どもたちにも早速彼のことを共有し

「ハンディだ」と勝手に思っているのはこちら側の思い込み。

「障がいを作っているのはあなた」なんですよと。

障害者野球もガチスポーツ。

プロ野球と、高校野球と、スポ少と同じ。そのようにお話をさせていただいた。

彼らは1学期にSDGsを学んでいるからだろう、

何人もの児童が大きく頷きながらその話を聞いてくれた。

右腕の自由を失った少年が野球と出会い、教師になる。彼が子どもたちに伝えたいメッセージとは? FNSドキュメンタリー大賞2019|FNNプライムオンライン
「夢は教師になって子供たちに野球を教えること」岡山県津山市の中学校教諭、槙原淳幹(まきはら・じゅんき)さん29歳。幼い頃の事故で右腕の自由が効かないが、小学校から大学まで野球一筋に打ち込んできた。彼は障害者野球チーム「岡山桃太郎」のエースとしても活躍。野球から彼は何を学び、子供達に何を伝えようとしているのか。前編では、...

 

このことをSNSでも発信すると、これまた東北の知人からメッセージが。

「梶原選手は東日本大震災の時にボランティアに来てくれてから繋がってるんです!」と。

おおおおお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

梶原選手からの熱いDMのおかげ。

動けば変わる。動けば人は繋がっていく。

 

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