恩人はラジオの神様に逢いに

 

お休みのはずなのに

特番企画のロケ調整やら明日の台本の準備やらでパタパタ。

しかしながらこうやって「どうにかして実施したい」と鋭意努力して

それが実現することは、凄く嬉しい。

みんなで集まってリアルイベントが戻ってくることを心から祈りつつ。

 

んでかねてより約束していた兄ちゃんの散髪。

服装検査は耳に髪の毛がかかるとNGだそうでバリカンでジョリジョリ。

いつまで切らせてくれるかなぁ・・・母ちゃんバーバーも卒業間近。

とこちらは思っているのだが

本人はスターウォーズ映画鑑賞しながら快適な時間を(笑)

 

そして。

ラジオの世界で「恩人は」と聞かれたら

この人を外すわけにはいかない、という偉大な元社長が天国へ逝ったと知る。

全く知らなくてニュースでそれを知るという不覚。

老衰だったそうで、静かに穏やかに旅立たれたのかなと想像する。

南海放送の一期生で、JOAFラジオ南海です と放送開始した朝

みんなで屋上で朝日を観た、とおっしゃっていたっけ。

ラジオ愛に溢れた懐の深いお人でございました。

まだやのが駆け出しの20代の頃、ケンケン言うてて生意気盛りで

苦情も多かった(まぁ今も変わってないかもだが)

夜ワイドを月金ベルトで喋ったりしていた頃。

短いコーナーでも自分なりに真剣に向き合って

何糞と歯を食いしばってがむしゃらに仕事をしていた頃。

当時社長ともあろう人が、外注の駆け出しのジャリンコに

たった1分のコーナーの感想を!

「明るくて元気がでます、いいですね、あれ」と

エレベーター前で伝えてくれたことを一生忘れない。

その後、夜ワイドの無鉄砲な若造が

「昼ワイドの喋り手に」という話が持ち上がり

幹部の方々がみんな猛反対する中(苦笑)

その社長だけが「いいじゃないですか、やってもらったら」と発言。

その鶴の一声で登板が決まったと知ったのは随分後になってから。

お手紙を書いたことも懐かしい。

その時の精一杯の感謝を伝えた手紙に、優しい字でお返事が来た。

道後でばったりお逢いしたこともあった。

ココロ折れずにラジオを続けて来られたのは

貴方の存在があったからです。

静かに手を合わせよう。

あちらの世界で逢われているであろう

ラジオの神様にどうぞよろしくお伝えください。

 

 

コメント

  1. 戸部紅屑 より:

    2/9(火)の北国新聞(金沢市)のニュースにシトラスリボンプロジェクトのニュースが載っておりました。(下記URL) 北陸の地にも輪が広がってきています~。
    https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/326849

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